ここあみるくのブログ

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とにかく不気味」新聞記者が遭遇した地下鉄サリン事件

1995年3月20日、日本の犯罪史上最悪の無差別テロ事件が起きた。あれから28年、その現場を取材し被害者の1人でもある男性は“風化”に警鐘を鳴らす。オウム真理教の信者らが、東京の地下鉄の車内で猛毒の神経ガスサリン」を撒いた「地下鉄サリン事件」 14人が死亡し6000人以上が被害に遭い、首都は大混乱に陥った。 当時、一早く現場に駆け付けた1人のカメラマン。その記憶は、写真よりも鮮明に脳裏に焼き付いている。 「いまだにオウム真理教は許せませんから。何があっても許さないですね、私は。あの現場を見ちゃうと」 そう話すのは、産経新聞の福島支局長・芹沢伸生さん。別の取材で現場に訪れていたところ、通行人の男性に声をかけられた。 「なぜか私に耳打ちをして ”こんなところにいる場合じゃないよ、この下が大変だよ” ってこう指を指したんですよね」50mほど先の日比谷線神谷町駅の地下鉄ホームへ急ぐと、異様な光景が広がっていた。 「券売機の前で若い女性が3人座り込んで”目が目が”って泣いてたんですね。ホームの端から端まで、人がずらっと倒れてたイメージなんですね。サラリーマンですよね。その人がうつ伏せになってるんですけど、まな板の上の鯉みたいにパタンパタンと本当に勢いよく跳ねてるんですよ。何も言葉を発してないんですよそれを見た時にとにかく不気味さ。何かが起きているというのを思ったのはよく覚えてます。あとは若干、酢酸の匂い」 当時、新聞業界に身を置いて12年目。多くの現場を経験しながらも、シャッターが切れなかった。当時の紙面には大きく掲載されたが、現場で撮影できた写真はわずか13枚だった。 「事件現場では最低でもフイルム5本ぐらいは撮る。180枚くらい撮って当たり前なんですけれども、その10分の1も撮ってない。なぜかというと、自分の身も危険だということで。その時に意識なくて大の字に伸びている、意識を失っているお年寄りの方がいらっしゃって。それで若いサラリーマンが、口をおさえながら介抱してるわけですよ。申し訳ないなと思いながらシャッター押したのを覚えてます」